この言葉は、自分が教師になったときに聞かされたものです。
そんなこと言っても成長する生徒は勝手に伸びるし、
やる気のない生徒は伸びないんじゃないか、と最初は思っていましたが、
よくよく考えてみると、これは教師にとってけっこう厳しい言葉であることに気づきました。
教室環境を例にとってみましょう。
教室がいつも汚れ、整頓はまったくできておらず、落書きがあっても気にされない。
この教室で過ごす生徒は、だんだんその環境が自分にとって当たり前になっていきます。
教師の教室環境に対する感覚が、そのまま生徒の感覚にコピーされていくわけです。
他の先生がたまに注意をしたところで、担任がその調子ではすぐ元に戻ってしまうし、
「だって担任の先生、何も言わないし…」で終わります。
この場合、教師の感覚以上の感覚を生徒は持ち合わせることができないわけです。
もちろん、その環境が気になって、自分で行動を始める生徒もいることでしょう。
しかし、いかんせんマイノリティです。
多くの生徒が見ている中で、率先して掃除をしたり整頓をしたりする生徒がそんなにいるでしょうか。
いたとしてもその子がスーパーなだけで、全体としての成長ではありません。
教師の力ではなく、生徒に助けられている状態になってしまいます。
残念ながら、これはプロの姿とは言えないでしょう。
学級環境を例に挙げましたが、教師が関わる場面ではどこでも起こるはずです。
授業、清掃、給食、生活、部活…。あらゆる場面で、教師の感覚が試されているんです。
これが、「教師にとってけっこう厳しい言葉」と感じた理由です。
生徒のお手本になれているか?そんな「常に見られている意識」が、必要なんだと思います。
もちろん、すべてのことが完璧にできる先生はいません。
ただ自分の弱点を把握していれば、例えば
「整頓がとにかく苦手なんだ。みんな、助けてくれると嬉しいな」
と生徒にヘルプを出すことも可能です。
全部が全部では言うことも聞いてくれないでしょうが、
たまに弱いところをさらけ出してくれる先生のほうが、なんとなく人間味も感じられませんか?
そういう意味でも、教師が現状に満足せずにレベルアップをすればするほど、
生徒も自然とレベルアップする、という話でした。
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