衝撃の1年、転機となった1年

今となってはネタになる年です。
両足のアキレス腱が切れたことですら今ではネタですからね。
その年(2011年)の通信内容を使ったので、思い出話として書きたくなりました。

新任校に講師から7年いて、初めての異動でした。
前情報として「〇〇中学校は今ヤバイらしいから、そこだったら覚悟せんとな」
と職場の先生同士で話しあっていました。
そして内示の日、校長から聞いた学校名はまさにその〇〇中学校でした。

何がそんなにヤバイのか?と思って着いた学校の、2年担任として赴任しました。
あまり詳しく書いてしまうとまずいと思うので書けませんが、とにかく衝撃。
いわゆる授業崩壊が目の前で起きていました。

教師にため口、へたすれば手を出してくる、授業逃亡、生徒同士のいじめ。
あまりにそれまでとの環境が違いすぎて、対応すらまともにできませんでした。
残念ながら校長も弱気で、誰からの支援もなしに戦争の最前線にいる気分。
研究授業を見に来た当時の先輩が、
「アイツが〇〇中学校で死にそうな顔してた」と噂するレベルだったようです。

授業中は教室の対角線で話をするから授業が聞こえない。
注意すれば「お前が黙れ」。次に注意すると教室から飛び出す。
仕方ないので内線→捜索依頼。自分が空き時間なら捜索隊に入りました。
クレーマー保護者が何人もいたし、別室登校や無気力もいたので、
それにすべて対応するのは正直しんどかったです。
そんな毎日だったので、初めて学級通信をやめました。(それでも半年もった)

それでも人間がすごいのは、そんな状況にも慣れてしまうことです。
「こりゃしょうがねぇわ!がんばらないことをがんばろう!」と半年くらいで吹っ切れました。
もう、ため口くらいどうでもよかったし、逃亡した生徒と体育館で話し込むこともありました。
クレーマー保護者も強気に出たら黙っちゃったし、別室の生徒とも仲良くなったし。
状況と環境は変わりませんが、自分自身が変わったから世界が変わったのでしょう。

この年にいろいろなことを体験し、いろいろなことについて考えました。
あのときに地獄を見たからこそ、今の自分があるといっても過言ではないです。

ただ地獄は地獄だったので、生きて帰ることができて何よりでしたが。
なので、どうすれば教員として成長できるか?と考えたときに、
「1回地獄を見ておいで」
が手っ取り早いのかもしれませんが、何割かは確実に教職から離れるでしょう。
そんなことをしなくても、今は優秀な先生がたくさんいるので、すごいなぁと思っています。

その学校での経験が、多くの知恵を生みました。
早く帰りたいから、仕事も早くなりました。
生徒対応も、格段に上手になりました。
だから今となっては、感謝です。(いちおう)

嵐の日々も過ぎ去ってしまえば過去になります。
むしろ嵐そのものを楽しむことができれば、それはそれでアリでしょう。
この学校の2年目の教訓もありますが、長いのでまた。

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