学級通信 「人生は糾える縄の如し」

「あざなえるなわのごとし」と読む。本来のタイトルは「起こったことをどうとらえるか」。自分に起きた、ある出来事についての考察。

1つ例を。交通事故にあった男性がいたとして、この人は運がいいか悪いか?

多くの人は「運が悪かった」と答えるだろう。でももし、その男性が入院先の病院でとても素敵な女性と出会い、すごい恋愛をして結婚したとしたら、この交通事故は運がよかったのか、悪かったのか?この時点なら、きっと「よかった」と答えるだろう。

さらに、その男性が結婚した女性にだまされてしまい、無一文になったとしたら、運は…?

人生、起こることは起こる。交通事故も、自分がいくら気を付けていたとしても相手が突っ込んで来たら避けようがない。

そして例のように「交通事故」という一部分だけ見れば悪くなるし、「素敵な女性と結婚」だけ見れば良くなるし、「無一文になった」だけ見れば悪くなる。

さらに言えば、無一文になったとしても「いい人生経験になった」と男性が思えればプラスだし、「俺の人生終わった」と思えばマイナスになる。
(自分の気持ちにウソをつくのはダメですけどね…本気で思えれば、です)

今度は自分の例で。10年前、学校から帰る途中の話。車で真っ暗な道を走っていて、一時停止で止まって少し顔を出したら、爆走してきた自転車にぶつかられたことがあった。

もちろん、起きた瞬間は頭が真っ白になって、何が起きたか意味がわからなかった。後ろについていた車の運転手が手助けしてくれて、警察を呼んだり、救急車を呼んだりスムーズにできた。
(いちおう書いておくと、うしろの方は「あの事故は、私があなたの位置にいたら、私が起こした事故になったでしょうね」と仰っていました。避けようがなかった、と釈明しておきます)

この事故自体は、当然自分の中では「最悪だ…」となったが、それ以後の運転には特に気を付けるようになった。

後日、せまい路地を走っている際に、一時停止をしながらゆっくり走っていたら、小さい男の子が載った自転車が急に飛び出してきた。

あの事故がなくて、もし勢いよく路地を走っていたら、おそらくその子を轢いていた。そう思うと、あの事故は自分を助けてくれた事故だったのかもしれない。

だから、自分は「悪く見えること」が起こっても、「よしよし、これからいいことが起こるぞ」と考える。

つまり、アキレス腱が切れたことも、きっと良いことなんです。

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