長く使われるものには、やはり良さがある。
金子みすゞさんの「こだまでしょうか」は、その1つになるだろう。
教師はよく知っていても、生徒は知らないものがたくさんあるし、
口頭で説明すると分かりにくいものは、通信に書くとその良さが伝わりやすい。
その時々と状況により、口頭と文章、または両方で伝えていくといいかもしれない。
金子みすゞさんの詩から
短い言葉の中で深い意味を伝える詩のよさを見た気がしました
人権集会で、校長先生が金子みすゞさんの詩を紹介された。
この詩は、東日本大震災が起こったとき(2011年)にCMでよく放送されていた。
(当時は通常のCMがほとんどなくなって、AC…公共広告機構の宣伝ばかり放送されていました)
だから当時を知っている人間からすると、「こだまでしょうか、いいえ、だれでも」のフレーズを聞くとつい反応してしまう。
文章に起こすと、こんな詩だ。
『遊ぼう』っていうと『遊ぼう』っていう。
『ばか』っていうと『ばか』っていう。
『もう遊ばない』っていうと『遊ばない』っていう。そうして、あとでさみしくなって、『ごめんね』っていうと『ごめんね』っていう。
金子みすゞ 「こだまでしょうか」
こだまでしょうか、いいえ、だれでも
短い詩だけど、人間関係の中でよく見られるやりとりを表現している。
最後のフレーズは、「こだま」という自然現象のようだけど、「人間なら誰でもついやってしまうことなんですよ」と優しく教えてくれているようだ。
この詩をCM広告で使った担当者は、こんなふうにコメントしている。
たった一言で、人は傷つく。
たった一言で、人は微笑む。
自分がやさしく話しかければ、きっと相手も、おだやかに答えを返してくれる。ことばは、人から人へ『こだま』します。
この広告が、人と人のやさしい会話のきっかけになることを願いを込めました。
忘れがちだけど、とても大事なことを伝えてくれている気がする。
何かひどいことを言われた!と言われたことばかり気にしてしまうが、少し立ち止まって考えてみる。
もしかして、自分から出ている言葉がひどいものではなかったか?
そんなつもりはなくても、相手の立場で考えたらどうだった?
それはまるで、鏡のようにあなたに反射しているのだから。
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