「食べること」は「命をいただくこと」・・・
その気持ちを忘れないためにも、きちんと言う
先週・昨日と、給食のときのあいさつがきちんとしていない人が多いことが気になった。
あいさつが適当になってくるのは、正直あまりよくない兆候だからということもあるけど、それ以前に食事を大事にしてほしいからだ。
まず、「いただきます」って何なの?何をいただくの?それを理解するためには、日本古くから続く考え方を知る必要がある。
「八百万の神」…読めるかな。これは「やおよろずのかみ」と読む。
八百万といっても数そのものではなく、「たくさんある」という意味だ。
すべてのものには神がやどる、という日本古来の考え方。英語ならアニミズムともいう。
また「九十九神(付喪神:どちらもつくもがみ)」といって、長年使った道具にも神がやどるという考え方もある。
つまり、日本人は古くから自然(風神・雷神とか)はもちろん、身の回りのものすべて、そして食べ物にも敬意を払っていた(西洋はどちらかというと逆)。
もちろん、みんなが食べているご飯も同じで、自分たちが生きるためにそれらを「いただいて」いる。
上の疑問に戻る。
「いただきます」とは、神、または命をいただきます、と考えられる。
魚、牛、豚、植物etc.は、食材になる前は確かに「生きていた」。
それをみんなの血肉にさせてもらうために、「いただきます」をする→命に感謝をする、だと思う。
その感謝を忘れないためにも「いただきます」や「ごちそうさま(御馳走様)」をちゃんと食べる物に伝えてほしいと思う。
小学生なら意味も分からないだろうけど、今のみんななら、どんな意味があるのか?を考えて理解することもできるはずだから。
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