教師は面倒見のいい人が多い気がします。
ただ、それは時に生徒の経験する機会を奪ってしまうこともあります。
失敗上等でまずはやらせてみる、というくらいで構えていてちょうどいいのでは?
失敗を恐れない!魚を与えるよりも魚の釣り方を教えよう
教師が先回りしすぎて生徒のやることがなくなる
1年生を8回やっているので、中学校での決まり事を教えることにも慣れてきました。
小学校とはいろいろとルールが違うので、1年生は何も知らなくて当たり前。
(これは仕事を始めたばかりの社会人でも同じですね)
教師の4月の仕事は「やり方を教える」ことになります。
生活する中で、それぞれの生徒が何度も同じようなミスをします。
でもその度に「違うよ、これはこうするんだよ」と伝えていきます。
1度で出来るのなら苦労はないし、それこそが教師の仕事だと思うからです。
ここで、教師によってはいちいち伝えるのが面倒くさくなってきて、
すべてにおいて手と口をはさみ始めます。
たしかにそのほうが早いし、確実ではありますが、
「分からなければ先生が指示を出してくれる」
という指示待ち人間を育てることになります。
実演(説明)→やらせてみる→ほめる
ここで、以前の記事
先生の心がまえ ~やってみせ やらせてみて ほめてやらねば 人は動かじ~
と同じことになります。
楽器の演奏をさせるのなら、こんな流れでしょう。
・自分が音を出して生徒に聴かせる
・同じように音を出すように言う
・「そうそう、上手!もっとこうするといいよ」とほめる+改善点
・次の練習を自分で始める
学級の仕事なら、こんな流れでしょう。
・課題の提出とチェックの仕方を伝える
・実際に動きをつけて見せて教える
・次の日に「そうそう、これで完璧!他の係の子もよろしくね」とほめる+改善点
・その係の子も他の係の子もマネをする
多少の違いがあっても、ほぼこのパターンです。
一度経験すれば、あとは自分で考えて行動しはじめる
もちろん、その後も時々はミスをするでしょう。
または、慣れてきて惰性になる、サボり始めることも考えられます。
そのときは、少しずつ方向修正するだけです。
声を荒げて怒る必要はどこにもありません。
指示を出しすぎるから、指示待ち人間が出来上がる。
それなら、必要なタイミングで必要なだけの指示があればいいのです。
軌道に乗ってきたら、ヒントを出すだけで新しいこともアレンジしてできるようになります。
要は、生徒の力を信じられるかどうか、という1点です。
まとめ 過保護と面倒見がいいのは違う
自転車と同じで、乗らないと運転できるようになりません。
危ないからといって自転車に乗せない、またはつきっきりになってしまうのが過保護、
いっしょに練習に付き合って、時々アドバイスをするのが面倒見がいい。
自分はそんな違いだと思います。
のちのち、どちらの生徒の力が伸びるかは、考えるまでもないでしょう。
補足 学級の自動化ができると超ラクチン
生徒が自分たちで考えて行動できるようになると、その後の経営は超ラクチンです。
ほかっておいてもリーダーが指示を出し、周りも理解して自然と動きます。
手と口を出すのを、グッと堪えてみてください。(放置とは違うので注意)
その先に、自分たちで考えて動ける生徒が待っています。
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