中学生にはやや難しくて、実際の通信には書きたくても書けない話。
あくまで題目に大しての主観なので、書きづらい内容でもある。
別にムフフなことが書いてあるわけではありません。
罪ではないけど、知らないと損をする可能性が大
自分が好きなゲームの1つに「逆転裁判」がある。
謎解きが好きな人には、ぜひおすすめしたい作品の1つ。
その中の登場人物の1人が、こんなセリフを口にする。
(今はswitchでもpsでも123がセットで販売されているのでオススメです)
クッ‥‥!
逆転裁判3より ゴドー検事
言っただろう?まるほどう。
“知らない”ってのは、大きな≪罪≫なんだ、と‥‥。
このゲームが好きすぎて、5回くらいクリアをした。
その度にこのセリフを聞き、「知らないことは本当に罪なのだろうか?」と考えるようになった。
知らないことは不可抗力だし、知らないから対処のしようもない。
でももし、気付く兆候があったとしたら?
知ろうと思えば知ることができたのなら・・・
教員なら、学級で起きたトラブルに気付けたか・気づけなかったか、に通じるかもしれない。
自分の結論としては、
知らないことは別に罪ではないが、それによって起こされる不利益は避けられない。
それが嫌なら情報を自分で集め、選択できるようにするしかない・・・だ。
選択できることの例を卵で出してみる
例えば、A町のスーパーでは卵が100円で売っていたとする。
他の町の情報を知らなければ、そこで卵を買い続けるしかない。
でも、B町のスーパーでは80円で売っていることを調べたり口コミで聞けば、
少し遠いけどB町で卵を買うという選択肢が出てくる。
どちらがいい、いうよりは、選択できることが重要になる。
厄介なのは、情報は「自分で知ろう」と思って集めないと集まらないことだろう。
選択できるまでのステップは、こんなところ。
①疑問をもつ(卵が高い。どうにかならないかな)
②調べる(もしかして、他にも卵は売っているのかもしれない)
③情報の信憑性(B町の噂は聞いたけど、これは本当かな)
④選択する(どちらの町で買うか、または買わないか。または卵を買わない?)
正直、多くの人が①の疑問すら持たない・持てない状況がいたるところである気がする。
例えば、
我々の税金は正しく使われているのか?年金はどうなっている?
というか、なんで消費税はこんなに高いのか。
医療制度は本当にこれでいいのか?
メディア(TV)は本当のことを言っているのか?
なぜ毎日働かないといけないのか?
なんでみんな同じ時間に出社しないといけない?
学校は今のままでいいのか?
・・・と例をあげればキリがない。
当たり前すぎて疑問すら抱けないし、疑問をもつ人に怒りすら感じるかもしれない。
「そんなの当たり前だろ!」という感じで。
でも残念ながら、それはただの思考停止です。
割高なA町で買い物をさせられているだけの可能性が、相当高い。
もしかしたらB町が本当にあるかもしれないし、
もっと安いC町まであるかもしれないし、
へたをしたら、農家がたくさんあるZ町では卵を無料で分けてもらえるかもしれない。
卵(お金)ですめばまだいいけど・・・
「知らない」と損を被る可能性が大、というのはこういうこと。
卵の値段くらいならまだいしも、中には命に係わる選択もある。
それを知らずに被害を被るのが自分だけならまだしも、
家族や、自分の子供が被害を受けると考えると、そうも言ってられない。
最初に書いた逆転裁判のゴドー検事も、自身が大きなダメージを負っただけでなく、
大切な人も同じように被害にあってしまったのだから・・・。(少しネタバレ)
ん?とか、あれ?なんで?
という違和感を大事にしたいものです。
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