「普通」に縛られる学校
「普通」という言葉は学校ではよく聞かれるものの1つ。
「こうするのが普通だよ」
「普通の神経ならこんなことできないよ」
テストの点数なら「平均」とも言える。
目の前にいる生徒に、1人でも「普通」の生徒はいるのかなぁ。
それぞれが個性的で、同じ生徒なんて1人としていないはずなのに。
本来、基準も何もないところに生まれる「普通」とは何なのだろう。
単に学校・教師が扱いやすい生徒を「普通」と言っている気もする。
学校って「みんなちがって、みんないい」という詩を愛用する割には、
違うことをする生徒、同じことをしない生徒を排除しようとする傾向がある。
学校・教師は「個性を大事にする」と言いつつ「普通」を求めていない?
宿題を出すのが「普通」
みんなと同じことをするのが「普通」
毎日学校に来るのが「普通」
こうやって考えると、学校って息苦しい場所なんじゃないかなと思える。
いや、みんな勝手なことされたら大変でしょ!
うん、たしかにごもっとも。
それで苦労した経験もあります。
でもそれって学校・教員側の都合であって
生徒の都合を考えたことではないよね。
今思うと、「苦労した生徒」は自分のやりたいようにやっていた子たち、
それこそ「生徒の都合」・・・生徒のとして「普通」な姿だったのかもしれない。
となると、学校というシステム自体がもうすでに古いスタイルなんじゃないの?
という気もしてくる。
個性を生かさず、まるで同じ製品を作る工場のようなシステムが
今の学校の姿・・・なのかもしれない。
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