人類の中に「神」の存在は刷り込まれてしまっている気がする。
誰も見たことがないはずなのに、神社や寺院は当たり前のように存在している。
そこに誰も疑問をもたずに神頼みするのが、不思議でしょうがない。
それなら同じく目に見えない存在のお化けや宇宙人も…と思うが、それはそれ、これはこれらしい。
人によっては「罰当たりな!」とか言われるだろう。
そんなことを考えていて出来上がったのが、この通信の内容。
常識にスポットを当てると、ネタは無尽蔵に生まれてくる。
神様に頼る前に自分に頼る・・・神頼みは最後の一押し
時々不思議に思うことがある。
お化けや宇宙人がいるか・いないかはテレビでも論争になるわりに、神様がいるか・いないかはあまり問題にならないのはなぜだろう、と。
そう思うのは、多くの人が初詣に行くこともそうだし、何かお願いをするときに、神社やお寺に行くことに抵抗がないから。
恵方巻も「神様がいる方向に向かって」と言われて疑問をもたずにやっていると思うが、神様って何?と疑問に持つことは多くない。
少なくとも、初詣も祈願も「神様がいることは大前提」になっている。
それなら、目に見えないという意味では同じはずのお化けや宇宙人がいることも不思議ではないのでは・・・?と思うわけだ。
そういう意味で、人間の思い込みってすごいなと感じる。
受験の真っ最中に書く内容ではないかもしれないが、この時期になるといつも「神頼みって効くのかな」と考えることがある。
自分の考えを先に書くと、「最後のひと押し」はあるんじゃないかと思っている。
ただ、その力はあまり強くない。
例えば、あまり努力をしていない子が神頼みだけして試験に臨んでも、結果は見えている。
やれることはやって、自分の力を出せるだけ出して、それでも何かできることはないか…と最後に行きつく先が「神頼み」なのかなと。
まさに藁にも縋る思いだ。
でもそれは、最初から神に頼っているのではなく、まずは自分の努力があってこそ。
そこまでやったから、「最後のひと押し」も効果が出るのでは…そんな気がする。
英語のことわざにもこうある。
「Heaven(God) helps those who help themselves.」
(他人に頼らず、自立して努力する者には天の助けがあり、必ず幸福になるという意味。怠惰な者には、決して幸福は訪れないということ)
「天は自ら助くる者を助く」の元になった英語でもある。
それでも思うような結果は出ないかもしれないが、やりきったのなら後悔もないだろう。
逆に、中途半端だからこそ愚痴や言い訳が出る。
結局は、今できることを全力でやるしかない、というところに戻ってくるわけです。
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