以前も書いたような気がするけど、偉人のことばは示唆に富んでいる。
そのまま書いても伝わるかもしれないが、ある程度はかみ砕かないと中学生だとわからない気がするので、実際にあったことを例に挙げてみたり、先生の意見を添えたりして伝えるといい気がする。
さすがにこんな内容は、口頭では絶対に伝わらない。
通信(文字情報)だからこそ、伝わることがある。
そして、今はわからなくても、生きている間で「ああ、こんな話があったな」「あれはこういうことだったのか」と、どこかで気づけば、それでいい。
「ありがとう」は魔法のことば2 釈迦の教えから
前回の続き。
感謝について、もう少し深い話を紹介したい。
釈迦(しゃか)、という人物を知っているだろうか。
またの名を「ゴータマ・シッダールタ」といい、仏教の開祖でもある。
そういう意味では、知らない人はいないかもしれない。
この人は世界三大聖者とも言われており(釈迦・孔子・キリストの3人)、ある本の中では、お釈迦さまの言っていたことは「感謝である」と書いてあった。
お釈迦様は、この世の苦しみ・悲しみの根元は、「思いどおりにならないこと」と見抜きました。
自分の思いどおりにならないことに対して、それに逆らってなんとかしようとするからこそ、人は悩み・苦しむのです。
だから、お釈迦様は、こうおっしゃっています。
「思いどおりにしようとしないで、受け入れなさい」と。人に頼って、人に甘えて、あるいは人に頼られて、時には人から甘えられて。
自分の思いどおりに世の中を変えようとしないで、それを受け入れて、こころを楽にして生きてゆくこと。そしてその最高の形は、「ありがとう」と感謝することだったのです。
水を飲めることに「ありがとう」
息ができることに「ありがとう」
食事できることに「ありがとう」
仕事があることに「ありがとう」
家族がいることに「ありがとう」
友達がいることに「ありがとう」
話ができることに「ありがとう」
足で歩けることに「ありがとう」
病気でないことに「ありがとう」
日々の生活に「ありがとう」
生きていることに「ありがとう」いま目の前に起きている最高の幸せ。
”何もないいつもどおりの穏やかな日々。
淡々として何も特別なことがなく、普通に家族がいて、普通に仕事があって、普通に食事ができて、普通にあるくことができて。。。それがとてつもなく幸せなこと。”
さすがは「天上天下唯我独尊」*と、生まれた直後に話したとされる人だけある。
ここまで悟ってしまえたら人生楽かもしれないけど、中学生どころか大人でもこんなふうに考えられる人は少ないと思う。
それでも、この話は知っておいて損はない気がする。
当たり前に感じられることは、実は当たり前ではなくて、すべてが感謝に値する「ありがたいこと」だった、と気づくことができるからだ。
ありがたい=有難い=有ることが難しいこと=それが目の前に起こっている=感謝!
こんなふうに、すべてのことに感謝ができたら、きっと人生の悩みなんてすべてふっとぶだろう。
(自分でも無理です(笑))
お互い、今は当たり前すぎて気づかないかもしれないけど、いつかはこの感謝にきづくことができるといいなぁと思います。
*天上天下唯我独尊の補足
おまけ。あくまで自分の意見なので、好きなように解釈してください。
仏教の考えを否定も肯定もしません。
この言葉の意味はいろいろとあると思いますが、自分の解釈としてはこうです。
「天の上にも天の下にも(世のすべて)、あるものはただ『自分』だけであった。」
この世は分離の世界であり、元をただせばすべては同じ存在だった…ということをいいたかったのだろうと考えています。
いわゆる「ワンネス」ですね。
あなたはわたし、わたしはあなた。
だからわたしであるあなたを大切にする。
わたしを大切にすることが、あなたを大切にすることになる。
という、ちょっとわけのわからない方向に話が跳んでしまいました。
こういう話が大好きなんです。
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