生徒や自分が大変な時期を通過しているな、と感じるときに書く記事の1つ。もう20年前の内容なので、今の時代にはそぐわないかもしれない。それでも、何かをやりきろうとするときには、壁にぶつかるもの。そのときの参考になれば。
けっこう前の教育新聞に掲載された記事ではあるけど、夏の大会前に紹介したい。この記事は、この学校前の校長先生…〇〇先生という方が書いた記事だ。
この〇〇先生というのは、元は新体操をやっていた方だが、中学校の顧問としては男子バレーをやっていた。それでも、何度もバレーで全国大会へ出場するほどの監督で、数年前にはこの学校も全国大会へ導いた。今のバレー部男子は、その歴史を受け継いでいるわけだ。
自分が教師1年目の時に、「これを読むといいよ」とこの原稿を渡された。それ以来、この記事を思い出せるように、目の届く位置に置いてある。内容は、こうだ。
窮而変変事而通(きゅうしてへんじ へんじてつうず)
私の座右の銘の1つに「窮而変変事而通」という言葉がある。意味は「真剣にやっていれば、必ずいきづまる。それでも一心になってやっていくと、ひょいと通じるものだ。通じないのは、いきづまる段階にまでいく真剣さがたりないからだ」ということである。
これは、プロ野球の元巨人軍、川上哲治氏の本の中で拾った言葉である。
子供に限らず、今の私たちは、ともするとギブアップが早いような気がする・・・(中略)・・・私自身は、「忍耐強い中学生」を数多く見てきた。今考えても驚くべき子供たちだった。大人の私でも耐えられないようなことを、「全国制覇」や「全国大会出場」を目標にがんばってきた。
その過程は、まさに窮而変変事而通そのものであったような気がする。
調子が悪いとき、チームにもめごとがあるとき、ぶつかりあうときほど練習の時間を長く持った。ただひたすら「窮而変変事而通」の言葉を信じた。「一生懸命にやってきているんだ。だからこそいきづまっている。ここを抜けるには、それでも一心になってやってくことだ」と。行き詰まりを大切にしたいものである。
やって、やって、やりまくったあげくにスランプになって、それでも一生懸命やった先にしかその次の成長はない、と書いた記事だ。
目的や目標もなく、なんとなく練習しているうちはきっと勝てない。自分なりにがんばったけど行き詰って、悩んで、それでも努力を続けていく…その姿が、勝ちを呼び寄せるのではないだろうか。
この先生の口癖は「神様は見とる」だった。努力は、運さえ味方にする。
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