学級通信 「時間は自分で作るもの」

1年生の体育大会の準備や練習がある時期に書いた通信(2008年)。生徒に時間の使い方を考えてほしい時に書きました。

昨日の6時間目、少しだけ学年競技の練習を行った。教室を出た後、自分は一度職員室に戻り、正門に置いてあるカラーコーンを回収して北グラウンドに向かった。けっこう時間がかかったな、みんなを待たせてもいけないなと思って急いで移動していた。

でも結局、全員が集まるまでには自分がグラウンドに到着してからさらに3~4分がかかった。教室から直行しているだけのみんなが、なぜ?という話をした。

時間は、戻ってほしくても戻ってくることがない。いくら願っても、いくらお金をつんでも、どうしようもない。すべての人に、平等に同じ時間が流れている。平等だからこそ、その時間をどう使うかでどんどん差が出てくる。

昨日のことを例にしてみる。教室を出て1分で集合したクラスと、3分で集合したクラスがあるとする。すると、差は2分ある。2分の間で、学年競技が4回練習できたとしたら、どうなるだろう?練習が1回ならまだしも、2回、3回と積み重なっていったら、差は広がる一方になる。当然、早く集合したクラスのほうがたくさん練習できるのだから、そちらのクラスが勝つ可能性が上がってくるはずだ。

これが部活や勉強になると、もっと効果は大きくなってくる。部活なら、市内はみんな同じ時刻に下校するので、練習時間はだいたい同じだ。でも、移動を早くして、どの部活よりも10分長く練習することができたら?それが1年間続いたら?10分×365日=3650分=約61時間。1日4時間の練習なら、15日も他の部活よりも長く練習できていることになる。これも、結果に差が出てくるんじゃないかな。(まあ毎日やる部活はありませんが、1つの例です)

学習だとどうだろう?1日10分×365日×3年=10950分=約189時間。1日3時間の勉強なら、63日間・・・約2か月も多くの勉強をできることになる。1日10分でもこれなら、もし30分長く取り組んでいたらかったら、もっとすごいことになるはずだ。こんな言葉もある。

何をするにも時間は見つからないだろう。

時間が欲しければ自分で作ることだ。

チャールズ・バクストン


誰にとっても平等で、与えることも、もらうこともできないのが時間。「時間がない」のではなく、自分で作り出すしかないものなのだ。

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