担任1年目、2年生に書いた記事(2008年)。どのタイミングでも書ける内容。
三英傑に数えられる徳川家康と豊臣秀吉。三河は家康押しだけど、秀吉にも英傑ならではの学習方法があった。時代が時代なので、今みたいな勉強ではなく、「生きる術」としての学習方法だ。
この人たちは天下人なので、同じようにすることは難しいかもしれない。でも、必ず活かせる部分があるし、真似ができるならみんなにもその可能性がある。それぞれ、少し紹介したい。
秀吉は、卑賎(ひせん:貧しい身分)に生まれ、逆境に育ち、特に学問する時とか教養に暮らす年時などは持たなかったために、常に、接するものから必ず何か一事を学び取るということを忘れない習性を備えていた。
だから彼が学んだ人は、ひとり信長ばかりではない。どんな凡下(ぼんげ:普通な人)な者でも、つまらなそうな人間からでも、彼はその者から自分より勝る何事かを見出して、そしてそれを我がものとしてきた。
ー我以外みな我が師なりー
としているのだった。ゆえに、彼は一個の秀吉だが、智は天下の智を集めていた。
吉川英治「新書太閤記」35
どんな人でも、自分よりすごい部分が必ずある。なさそうに見えたら、それはまだその人のすごい部分を見つけられていないだけだ。
自分は、このクラスにはいろいろな才能もった人がいると感じている。それは、見つけやすいものだったり、少し気をつけないとわからないものだったりする。
マイナスの部分は目につきやすいが、プラスの部分は意外と気づかない。それを自分の目で見つけて、「学ぼうとする」気持ちをもってみると、秀吉に近づけるかもしれない。
そして家康は、「耳学問」という持ち前の学び方を大切にした人だったようだ。
家康公は、駿府城内に全国の諸宗派の僧侶を呼んで、それぞれ宗派のあるべき姿を宗派間の僧侶に論じさせた。
これが有名な宗論という名のディベート合戦である。家康公は、その様子をじっと聞き入っていたのである。
まさに耳学問の王様であり、人々が十年、二十年かかって達成した学問の極致を、自らのものとしていたのである。
家康は「聞くこと(「耳の学問」で耳学問)」にひたすら集中して、一言一句聞きもらさず、他人の知識を吸収しようとした。
2人に共通しているのは、なんでも自分のプラスしようとするその貪欲さだ。その貪欲さが、のちの三英傑を作り、歴史を動かす人物にしていったのだ。
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