1年生の修了式3日前くらいに書いた記事(2009年)。新年度にまた新しい友達ができることを考えて、友達の存在について再考を促す記事を書いた。
人生の中で、「友情」はいくつになっても人生に強く影響をする。というよりは、人間関係があってこそ人は生きていけるし、人との交流を通してこそ人生の楽しみがある。もしこの世の中で自分1人しかいなくて、誰ともコミュニケーションをとれないとしたら、ぞっとしませんか?
「他人との信頼関係」ともいえる友情は、目に見える形がないだけに難しい。「これが正しい」という正解もないし、それだけにきっとたくさんの友情の形がある。でも、きっとある程度守るべきマナーやルールはあると思う(友達が少ない自分がいうのもなんですが)。
そんなルールや、「友情ってこういうものじゃないか」ということを、たくさんの人が考えてきた。たとえば・・・
真の友愛においては、私は友を自分のほうに引き付けるよりも、
モンテーニュ
むしろ自分をともに与える。
自分をさらけだせるか、ですね。そして、これがけっこう問題になること多し。誰かが自分のところに来てくれるのを待つのではなく、自分から先にいくのが大事なのかも。
友人の果たすべき役割は、間違っているときにも味方すること。
マーク・トゥエイン
正しい時には誰だって味方になてくれる。
どんな状況でも見放さないことの大切さに、友達の真価があるかもしれない。「友達だからこそ」とれる行動が、きっとある。
でも、時には友達でも仲が悪くなることもある。そんな時への言葉。
あなたの友人があなたを裏切るようなことをしたからといって、
シング
あなたは友人の悪口を人に語ってはならぬ。
長い間の友情がゼロになるから。
悪口は、本当にいいことがない。これがわかるまでには時間がかかるけど…
友人の失敗には目をつぶれ。
フランスの諺
だが悪口には目をつぶるな。
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるように、親しくても、「これは言ってはいけない」というラインは越えてはいけないと思う。
逆に、こんなことも言える。
みえないところで友人のことを良く言っている人こそ信頼できる。
フラー
人は、誰も見ていないところで本当の自分が出るもの。だから、自分自身を磨くことが、友情を長続きさせるコツなのかもしれない。人に求めすぎないで、まずは自分を省(かえり)みること…。マナーを守りながら、自分を隠さず表現していければ、うまくいくのかもしれませんね。
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