教員を20年続けて思うのは、
なんで「学習の場」と呼べるようなものが、学校しか存在しないのだろう?ということ。
最近はオルタナティブスクール、サドベリースクールやフリースクールなど、
少しずつ新しい形の教育も出てきました。でもまだまだマイナーです。
よくよく考えてみると、学校ってすごくキツイ場所だと思いませんか?
朝早くに学校に来て、8時間を机に座って過ごし、好きでもないことを勉強させられ、
少しだけ好きなことをして(部活、それでも数は限られている活動)家にやっと帰り、
寝るまでの短い時間も勉強して、その結果(宿題)をやって次の日には提出する。
それをしないと、怒られるんです。家でも、学校でも。
こう考えると、「普通に」学校に来ている子ってどれだけ忍耐強いのでしょうか。
たくさんの生徒がいれば、この現状に合わない生徒は確実に出てきます。
それが「不登校」という形なのだと思います。
(不登校という呼び名も適切ではない気がしますが、ここはこれで通します)
大人でも嫌になりそうなローティンなのに、
これに合わない生徒がいたとしても、何もおかしくないのです。
学校に来ない生徒は、ただ「そのスタイルは僕/私には合いません」と言っているだけです。
(いじめ等の場合は完全に別物、それ相応の対応が必要です)
問題は、それを理解できる大人が極端に少ないこと。
というより、「学校には行くものだ」「それが正しい」としか考えられない思考が問題です。
学校という枠内なのである程度は仕方ないですが、今はもう柔軟な対応が求められる時代です。
不登校だから困った、ではなく、
不登校ならどんな生き方を勧めてあげられるかな、
という視点をもってほしいなと思います。
そう考えられるだけで、教師の心の負担も少しは軽くなるのではないでしょうか。
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