生徒に向けて書いている通信ではあるが、大人にも通用することがある。
「口ばかり動いて行動が伴わない人」は、その典型だろう。
時代的に「背中で語る」人は少なくなったのかもしれないが、
やはりそういう人のもつ説得力は強い。
ある意味、職人気質ともいえる。
そんな人を形容するイタリア語「il bello dorso」という言葉を聞いた思い出から、書いた内容。
まずは書いた本人が、そうなれるように頑張る所存である。
背中で語れる先輩になる ~il bello dorso~
もうすぐ3年生になるこの時期に、学級代表から衝撃の発言があった。
「掃除の取り掛かりが1年生よりも遅いです。もっと早くできると思います。」
お手本となるべき先輩が、いい姿を見せられていないのは残念だ。
この話を聞いたとき、思い出したことがあった。
昔、大先輩の先生から、二宮さんというジャーナリストの講演会に行ったときの内容が
とても素晴らしくて、ついメモをしてしまった、という話を聞いた。
それと同じ講演会を聞き、それをHPにまとめた内容を見つけた。
「美しい背中」という内容だ。
il bello dorso (イル・ベロ・ドルソ)
スポーツを通じて「良いリーダーとは何か?」ということを話してくれたのだが、良いリーダーは幾つかの型があって、強烈なリーダーシップで組織を築き上げるリーダーもいれば、比較的柔和なリーダーシップで人を育て上げるリーダーもいるという話があった。
二宮氏の個人的体験から言うと、前者はJリーグの川淵チェアマンであって、後者は仰木監督だったそうだ。
そして、講演の最後でリーダーとしてあるべき姿は何か?”という点については、カルチョの国イタリアでのサッカー教本の最終ページに書かれていたメッセージを引用して、興味深い話を聴かせてくれた。
“il bello dorso”
イタリア語で直訳すると『美しい背中』となるらしい。
ニュアンスを伝えるなら『凛とした背中』か『毅然とした背中』だろうか。つまり、リーダーたるもの自分の表面の表情、顔だけを気にしてはいけない。
リーダーたるもの自分の背中がどう見られているのかを気にしなければならない。選手はコーチ、監督のどこを見ているのか?
顔ではない、背中である。子供は親のどこを見ているのか?
顔ではない、背中である。生徒は先生のどこを見ているのか?
顔ではない、背中である。部下は上司のどこを見ているのか?
顔ではない、背中である。『il bello dorso ~ 良きリーダーたらんとする者は、まずもって良き背中を持て』
プラ村塾 目から鱗の名言
後輩に向かって、「ちゃんとやれよ」と言うのは簡単だ。
でも、それを先輩がきちんとしていなければ、後輩はそれを見抜くだろう。
だからこそ背中で見せる、背中で語るのだ。
言葉で伝えても伝えなくてもいいけど、自分の行動で相手に伝える。
行動が伴わない人の言うことは、きっと聞いてもらえない。
逆に、行動が伴っている人の言葉には力が宿る。
たかが掃除、されど掃除。
1つ1つの行動を、どこかで誰かが見ている。
先輩らしく、「美しい背中」で語れる人になっていってほしい。
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