学校とは切っても切れないのが清掃指導。
自分は清掃担当をしているが、正直掃除が好きではない。
というより、自分が掃除をするのはむしろ好きだが、
生徒に掃除をさせるのが嫌い、と言ったほうが正しい。
イヤイヤ掃除をやらせても、まぁその場はきれいになるかもしれない。
ただ、その心は果たしてどうなのか・・・と考えてしまう。
そんなところに多少なりとも意味を持たせたいと考えて書いた記事。
道徳の授業などで、掃除の意味や意義、または
内容にあるように日本とアメリカの違いを考えさせてもいいかもしれない。
掃除とは
自分たちが使った場所をきれいにするという意味ももちろんありますが、それだけではないのです
アメリカでは、学校の掃除を専門の業者が担当する。
それはいいな!と思うかもしれないけど、最近ではアメリカでも日本にならって、
掃除を業者ではなく生徒にやってもらう方向に変えている学校もあるそうだ。
自分たちで、自分たちが使った場所をそうじすることにはそれなりのよさがあるということを、アメリカの学校の一部が認めたわけだ。
(文化の違いですが、清掃を業者に任せることで仕事が生まれ、生活が助かる人もいる・・・
という背景もあるので、一概にどちらがよい・悪いとは言えません)
なぜ日本では自分たちで掃除をする文化があるのか?
というと、1つは仏教に理由があるかもしれない。
以下は、あるお寺のHPから。
お寺の小僧さんは掃除が一番、勉強は三番目です。
仏教は人格を完成させるための教えで、その手段のひとつとして作務(さむ)の大切さを教えるのです。
(注:作務とは、僧が掃除などの仕事をすること。修行の1つとされる。)
お経の勉強や、お経を読んだり坐禅したりの勤めももちろん大切なのですが、「なんだ、そんなこと」とおろそかにされがちな掃除などが、実は心を磨くのに大変重要なのだということを教えるために、作務は僧侶の勤めの第一番になっているのです…
天台宗法話集 No.14お掃除 より抜粋
外国が日本にならって掃除を取り入れる理由として、「生徒がゴミを拾わない、机にチューインガムが貼り付いているなどの、生徒に掃除をさせないゆえの問題点も指摘されています」とあった。
つまり、自分が使っている物・場所への感謝がなくなり、物を雑に扱うようになってしまうのだ。
一長一短だとは思うけど、日本には日本のよさがある。
学校でいろいろな物が使えるのも、当たり前のようで当たり前ではない。
みんなが使っている机だって、実は1つ1万5千円もするのだ。
生徒が500人いれば、15,000×500=750万円。
特別教室も含めれば、机だけで1000万円かかっている計算になる。
机に落書きしたり、穴をほったりする人がたまにいるけど、みんなの学習のために用意された物だ。
もちろん値段だけの話じゃないけど、今ある環境に感謝する心、その感謝の表れの1つとして掃除ができるといいなぁと思う。
机に限らず、校舎・教室・グラウンドもまったく同じ。
ただの作業にするにはもったいない。
使う場所があることに感謝をして、取り組んでみてはどうだろうか。
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