この内容は「心のスイッチを入れよう」。
自分はまったく逆に、「やる気スイッチは存在しない」とも書いている。
たしかにやる気スイッチは存在しないが、「興味のスイッチ」はあると思う。
人間の学ぶ効果が大きくなるのは、興味が魅かれたときだと考えている。
そうなると、これは生徒側のスイッチが入らないことが問題のように見えるが、
実のところ生徒の興味のスイッチを押せていない教師側の問題である、ともいえる。
まあこの通信は「スイッチが入るのと入らないのでは、大きく違うんだよ」と伝えているだけだけども、教師自身に跳ね返ってくる諸刃の剣かもしれない。
心のスイッチ、入ってますか?
去年いらっしゃった校長先生(ちなみに、現在は市の体育館に勤務されています)が出していた校長通信に、「心のスイッチ」という詩があった。
調べてみると、その内容が自分が思うことと似ていて、とても納得のできる詩だった。
1年生の昇降口にも飾られている、東井義雄さんの詩だ。一度、目を通してみてほしい。
人間の目は ふしぎな目
見ようという心がなかったら
見ていても見えない。
人間の耳は ふしぎな耳
聞こうという心がなかったら
聞いていても聞こえない。
おなじように先生の話を聞いても
ちっとも聞こえていない人がある。
ほんとうにそうだと
腹の底まで聞く人もある。
ちっともえらくならない人がある。
毎日ぐんぐんえらくなっていく人もある。
今までみんなから
つまらない子だと思われていた子でも
心にスイッチがはいると
急にすばらしい子になる。
心のスイッチが人間をつまらなくもし
すばらしくもしていくんだ。
電灯のスイッチが
家の中を明るくし、暗くもするように。
「心のスイッチ」 東井義雄
同じことをしていても、1のことから10を学ぶ子もいれば、10のことがあっても1を学ぶかどうか、という場合もある。
それは個人の能力もあるかもしれないが、「心のスイッチ=気持ちが入っているか」ということも大きく関係しているかもしれない。
1つの授業、1つのテスト、1つの宿題からでも、たくさん汲み取ろうとすれば、いくらでも成長していく。
逆にその気がなければ、底のない入れ物に水を流しこむようなもので、まったく意味がなくなってしまうだろう。
そしてその心のスイッチのON、OFFの管理をしているのは、みんな自身。
行動を起こしていくと、そのスイッチも入りやすくなる。
パチッ、とスイッチを入れてみよう。
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