すごい人たちのエピソードは、それだけで教材になる。
また、「すごい人のとった方法」という権威付けが効いて、多くの人が納得しやすい。
中身がなければ意味もないが、昔から伝わる方法にはやはり一定の価値はある。
そうでなければ、長い歴史の中でその方法は消えていったはずだからだ。
そして、その方法が特別だったか?というと、意外とそうでもない。
自分のいつもの結論に、結局は落ち着く。
・実際に行動したか
・本気でやったか
・できるまでやったか
これが凡人の最大の武器になると思っている。
家康と秀吉はどんな方法で学んだか?
三英傑に数えられる徳川家康と豊臣秀吉。
三河の地域では家康が有名だけれど、秀吉にも英傑ならではの勉強方法があった。
時代が時代なので、今みたいな勉強ではなく、「生きる術」としての勉強方法だ。
この人たちは天才で自分たちとは違いすぎる…と思うかもしれないけ。
たしかに、そのとおりにできることはなかなか難しいと思う。
でも、必ず活かせる部分があるはずだし、少しでも真似できればうまくいくかもしれない。
そんな部分を、少し紹介したい。
秀吉は、卑賤(ひせん、貧しい身分)に生まれ、逆境に育ち、とくに学問する時とか教養に暮らす年時などは持たなかったために、常に、接するものから必ず何か一事を学び取るということを忘れない習性を備えていた。
だから彼が学んだ人は、ひとり信長ばかりではない。
どんな凡下(ぼんげ、普通な人)な者でも、つまらなそうな人間からでも、彼はその者から自分より勝る何事かを見出して、そしてそれをわがものとしてきた。
―我以外みな我が師なり―
としているのだった。
故に、彼は一個の秀吉だが、智は天下の智を集めていた。
(吉川英治「新書太閤記」35)
どんな人でも、自分よりすごい部分が必ずある。
なさそうに見えたら、それはまだその人のすごい部分を見つけられていないだけだ。
自分は、このクラスにもいろいろな才能が眠っていると感じる。
それは、わかりやすいものだったり、少し注目をしないとわからないものだったりする。
マイナスの部分は目につきやすいが、プラスの部分は意外と気づかないものだ。
それを自分の目でよく見て、「自分より優れた部分を学ぼうとする」気持ちをもってみてほしい。
また家康は、「耳学問」という持ち前の学び方を大切にした人だったようだ。
耳学問(みみがくもん)とは、他人の話を聞いて、知識を得る方法のこと。
家康公は、駿府城内に全国の諸宗派の僧侶を呼んで、それぞれ宗派のあるべき姿を宗派間の僧侶に論じさせた。
これが有名な宗論という名のディベート合戦である。
家康公は、その様子をじっと聞き入っていたのである。
まさに耳学問の王様であり、人々が十年二十年掛かって達成した学問の極地を自らのものとしていたのである。
家康は「聞くこと」にひたすら集中して、一言一句聞きもらさず、他人の知識を吸収しようとした。
2人に共通しているのは、どんなことでも自分のプラスしようとするその貪欲さだ。
その貪欲さがのちの三英傑を作り、歴史を動かす人物にしていったのだろう。
今回、この2点を紹介したが、何か気づくことはあるかな。
自分は、こう感じた。
・特別な存在だからできたことではなく、誰にでもできる方法であること。
・他人を認め、その対象をじっと観察したり、話を聞いたりして、自分にないものを吸収したこと。
日本の三英傑がとった方法は、君たちにもできる方法だった(時代背景はあるけれど)。
ただ、それを死ぬ気でやったかどうか。
差は、たったそれだけなんじゃないかな。
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