どちらかというと、自戒の意味をこめた内容。
でも、日本人の多くがこのジレンマに陥ってるんじゃないかと思う。
やりたいのに、やらない。
やりたいのに、やれない。
結局のところ、行動力が足りないだけだし、むしろ勇気が足りないだけかもしれない。
でもそれに気づくのが遅くなれば、後悔をして最期を迎えてしまう。
そんなことになってほしくないな…と思いを込めて書いた内容。
人が死の間際に語ることとは・・・新しいことに挑戦しよう
まだ40年くらいしか生きていないけど、ここまで生きてきて少し思うことがある。
それは「もっといろいろなことに挑戦してくればよかった」ということ。
興味はあるものの、時間がないから…とか、面倒だな…とか理由を付けて、
あきらめてきたものがたくさんある。
例えば、ソロキャンプ。
一人で好きなように行動して、日が暮れたら焚火を見ながら時間を過ごす。
憧れではあるけど、結局やったことがない。
例えば、旅行。
1回だけ一人旅をしたことがあり、それが思った以上に楽しかった。
でもそれ以来、忙しさを理由に行けていない。
そんな思いもあって、今でもチャンスがあれば、できる限り挑戦できるならしたいと思っている。
(どちらも一人だというところはスルーしよう)
こんな記事があった。
「死の直前に後悔すること…3500人を看取ったホスピス医が証言する患者の無念」。
ホスピスとは、余命が短い人が過ごす場所のことで、そこで勤務した人の話だ。
人は最期の時に、いったい何を語るのか?こう書いてあった。
人生は誰もが満足して終えられるものではないかもしれませんが、私の経験上、多くの人が「いい人生だった」「自分なりに頑張った」という思いを抱えて最後を迎えられます。
ただ、中には「そういえば……もっとこうしておけばよかった」「そういえば……こんなふうに生きればよかった」といった後悔の念を抱く方もいらっしゃいます。
よく現場で耳にするのは、「もう一度家族と旅行に行きたかった」という声や「もっとチャレンジすればよかった」という声です…
年をとると、新しいことに挑戦することがだんだんと難しくなる。
仕事が忙しかったり、家族ができたり、単純に面倒で行動できなかったり…。
さらに年をとれば、体も自由に動かすこともできなくなるかもしれない。
確かに、いろいろな理由はあるかもしれない。
でも結局、最後は「やるか・やらないか」。
行動をするという一歩を踏み出した人には、確実に新しい世界とチャンスが広がる。
その経験がすぐに影響しなくても、どこかでその経験は必ず生きてくる。
卒業を祝う会の実行委員が、その機会の1つになってくれるとうれしい。
まだ迷っている人、新しい一歩を踏み出してみては?
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