学校というのは、画一的な大人を育てるための場所だと最近思うようになった。
個性を大事にとか、自主性を伸ばしてとかいろいろなことを言うが、
同じ場所で、同じ内容を学習し、同じ行動をしている集団が、
個性と自主性をどう発揮するというのだろう。
そういう意味でも、学校の機能の中にそういったものを求めるのは、最初から無理がある。
だからこそ担任として、まずは目の前にいる生徒に、「自分なりに考える力」の一端でもいいから気づいてほしい、身に着けてほしいと思う。
その1つのきっかけ作りとして、通信は使えると思う。
子供心を忘れずに!
心身ともにどんどん大人へ近づいていくのが中学生。
もちろん成長してくれるのが一番だけれども、発想力・・・「思いつく力」は、できる限り自由のままでいてほしいと思う。
たとえば、この質問にどうやって答えるだろう?
「蛇に足は何本あるでしょうか?」
答えを知っている人は、当然のように「蛇に足はない」と答えるだろう。
そこで、ある学者が幼稚園児に同じ質問をしてみた。
すると、「うーんと・・・1本!」と答えたそうだ。
答えを知っている人間からすると、「それは違うよ!」「そんなわけないじゃん!」と思うかもしれないけど、蛇の体をそのまま足とみたてて「足は1本」と答えることは、なかなかできる発想ではない。
答えを知らないからこそ、決まった答えにとらわれないからこそ、出てきた答えともいえる。
もちろん理科のテストでこの解答をしたら、この答えは×になってしまう。
でも、これからの時代、こういった枠にとらわれない自由な発想ができる人が強みを発揮するだろう。
それは、いくら頭が良くてテストはできたとしても、そこから導き出される答えはみんな一緒だからだ。
違った視点、違った角度から物事を発想できる人。
そして、それを素直に伝えられる人。
むずかしいことだけど、そんな柔らかい頭をもちつづけられるといい。
ちなみに、蛇に足をつけてしまうと、ある有名なことわざになる。
これは当然知っているとは思うけれど・・・そう、「蛇足(だそく)」だ。
この言葉の由来を知っているだろうか。
昔の中国で、絵を描くコンテストがあった。
そのお題として、蛇をかきなさい、というものが出題された。すごく絵の上手なAという人は、あっという間に蛇をかき上げた。
しかし、あまりに暇なので、ついつい蛇に足をかいてしまった。最後に審査が行われたとき、Aの絵はとてもうまかったが「蛇に足が生えているのはおかしい」と審査員に言われてしまい、失格になってしまいましたとさ…
時と場合によっては知識も必要になることもあるので、勉強も大切だ。
勉強は、頭の中にたくさん発想に必要な知識の引き出しを作ることでもある。
知識と発想、両方の力がうまく出るように、知識は蓄えつつ、でも子供心を忘れずにいたいものだ。
コメント