教員なら通信のネタや朝の会・帰りの会の小話として、
他の社会人でもスピーチなどのネタになりそうな話を紹介。
勉強という言い方が好きじゃない
国語では、漢字の組み合わせについて学ぶと思う。
「近所」なら近いところ、「勇猛」なら勇み猛るなど、
それぞれの漢字がどういう関係になっているかをやるはず。
学校では「勉強」という言葉をよく使うけど、正直この漢字が好きじゃない。
冷静に考えれば「学ぶことを強いる」わけで、生徒の自発的な~とか言うけど、
大元からして「強いて」いては楽しくもない。
人が一番自ら学ぶのは、自分が興味をもったことを突き詰めるとき。
その意味でも、「勉強」という言葉は学ぶ場所(学校)から遠い位置にあるんじゃないの?
と思うから。
今の学校システムが限界にきているのも、この辺が原因なんじゃないかな。
興味がないことを勉強しないといけないのは、苦痛以外の何物でもない。
自分は英語を教えているけど、苦手な生徒を見ると心が苦しくなる。
(おもしろい・わかりやすい授業ができていない可能性も十分にあるけども…)
それならまだ「学習」を使いたい
ちょっとしたこだわりかもしれないが、
「勉強」よりも「学習」のほうがまだいい気がする。
「学び習う」のは、自主的なイメージがあるから。
「勉強しなさい」というよりも、
「学習しなさい」といったほうが、伝わるイメージも多少違う…気がする。
もちろん言い方を変えたところでやっていることの中身が変わるわけではないのだけど、
そのことを知って、発する言葉を変えようとするマインドなのか。
そんなことは全く考えず、発する言葉の持つ意味に気を払わないマインドなのか。
根本が違ってくるから、周りに与える影響もやっぱり違ってくるのだと思う。
今あるものを疑わずに、固定観念にとらわれた考え方しかできない人と、
今までこうやってきたけど、これっておかしくない?と考えられる人では、
生徒や保護者への対応の柔軟さも違ってくるよなぁ、と。
生徒が学びたいものを学べる場所があったらいいのに
こんなことをいつも考えながら、仕事をしている。
料理が好きなら、料理の練習に専念できる環境を。
運動が得意なら、さらにその能力を伸ばす環境を。
数学や英語ができればたしかに役に立つかもしれないけど、
それは本人が必要と思ったときにやれば、きっと身につくスピードも違ってくる。
今までと同じ、ふつうの学校もあってもいいけど、
そうじゃない環境で学べる場所があってしかるべきなんじゃないかと思っている。
自分でそんな場所が作れたらいいなあ・・・。
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