「伝統」を見直す時代に

先生の雑記

「伝統だから」は思考停止

「〇〇は本校の伝統で…」というセリフをこれまでに何回聞いたことか。

よくあるのは合唱組み立て体操、その学校独自の行事など。

「伝統」という言葉を聞いて思うのは「それ、思考停止になってない?」ということ。

ある民族・社会・集団の中で、思想・風俗・習慣・様式・技術・しきたりなど、規範的なものとして古くから受け継がれてきた事柄。また、それらを受け伝えること。

Weblio辞書

と書いてある通り、お手本となるようなことがあって、

それを受け継いでいる・・・という意味では確かに伝統かもしれない。

でもその伝統を「なぜ」始まったのかを考えると、

そのときの思い付きであり、その時代に必要性があったから。

その当時の先生は先々のことまで考えて作ったわけではないし、

それを続けていこうとも考えていないことがほとんど。


それをあとから来た人が「ずっと続いているから大切なんだ」

思い込んでいるケースが多いのではないかな、というのが正直な印象。

いわゆる「思考停止」状態になっている。

例えば、日本の伝統にもいろいろあるが、なんとなく続けているものもあるだろう。

でも元をたどれば、その行動に意味があったから続けていたのであって、続けることが本質ではない

そこに「必要性」があるから、やることに意味があった

意味があったからこそ、続いてきた。

それが本当の意味での伝統ではないのかな、と個人的に思う。

それこそが、辞書に書かれている「伝統」なのだろう、とも。

(正月だからおせち料理を食べるのではなく、正月に仕事をしなくてもよいようにおせち料理を作っておいた、的な意味)


学校における「伝統」に必要性が本当にあるのか。

へたに神格化して、やめられなくなっているだけではないのか。

それを自分が断ち切ると文句を言われそうだから、続いているだけかもしれない。

学校のよくある「例年通り」になってないか。

考えたうえで、本当に必要性と意味があるなら、やればいいと思う。

もちろんこじつけの理由ではなく、学校と教師と生徒のことを考えたうえで。

それでも現代のニーズと働き方に即したものにしていったほうが、絶対いい。

思考停止にならず、自分の頭で考えられる教師でありたい。

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